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2017年11月15日 (水)

『大航海時代 ~ノルウェーの乙女ソルヴェイグ 世界一周の航跡』 第二章「時を越えた生涯の友人」

第一章「女王陛下の勅命」からのつづき





「時を越えた生涯の友人」



……イングランド女王「エリザベス1世」との謁見の日から遡ること、およそ1年前。

愛船「ペール・ギュント号」の船長としてアジア各地の海を巡っていたアタシは、ユーラシア大陸の東の果てに浮かぶ島国、ジパングからの帰路についていた。


艦隊には、旗艦ペール・ギュント号のほかに、もう一隻の船影があった。

3本マストの縦帆船、キャラベル型の「パリカール号」だ。


船を魚の体に例えると、船体の中心線は背骨、セイル(帆)はヒレのようなものだろう。

ちょうど魚の背ビレと同じように、船体の中心線に沿った方向にセイルが取り付けられたものを「縦帆(じゅうはん)」といい、スピードはそれほどではないものの、帆の操作が容易く小回りが効き、逆風でも船を進めることができるのが利点だ。

キャラベルは、それまで多くの航海者たちに重用されていたキャラック型の船を探検向けに小型化・改良したもので、操船に必要な人員数、武装搭載量、ペイロード(貨物総重量)のバランスが取れていた。

冒険と並行して貿易を行うために、貨物船としての役割の担うパリカール号をロンドンの港で進水させたのだった。


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対して、旗艦のペール・ギュント号は「横帆(おうはん)」の帆船で、船体の中心線に対してセイルが横向きに交差するように取り付けられている。

魚に例えると、背ビレが縦帆なら、開いた状態の胸ビレが横帆と言えるのかもしれない。

小回りが苦手で、逆風には弱いものの、順風時には帆の全面に風を孕むことができるので、外洋など風向きが安定している海では、縦帆の船よりも速いスピードで航行することができる。


旗艦ペール・ギュント号とともに艦隊を組んでいたパリカール号の貨物室には、銀、水晶、ヒスイなどアジアで多数産出する天然資源をはじめ、ビゼンノクニの名のある刀匠の手で鍛えられたという見事なカタナが一振りと、ヨーロッパの銃を改良したキシュウツツと呼ばれる高性能な火縄銃が十丁、そのほかにも、ウキヨエやイマリヤキといったジパングの各地で買い付けた珍しい美術品や工芸品の数々が満載の状態だった。

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ジパングの国で「南蛮」と呼ばれている、イスパニアをはじめとするヨーロッパの列強国は、アジアとの通商貿易で多大な利益を搾取していた。

「胡椒の一粒は黄金の一粒」と言われた香辛料と同様、アジアの貿易品を大量にヨーロッパに持ち帰ることができれば、一夜にして莫大な富を得ることもできた。

まだ見ぬ海の向こうの先にあるという新世界への「夢」を追い求めて、何百、何千という航海者たちが、嵐に遭えばひとたまりもないような木造の帆船に乗り込み、命がけで外洋への航海へと繰り出していった。

後世の人たちに「大航海時代」と称された、ひとつの大きな時代の幕開けだった。


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幸運なことに、大きな嵐や海賊にも遭遇しなかったアタシの小さな艦隊は、太平洋からインド洋、アフリカ大陸南端の喜望峰も無事に通過して、アジアからヨーロッパへと至る帰りの航路を順風満帆に辿っていた。

ヨーロッパを発ってから、およそ2年。

アタシたちは、懐かしいロンドンの港に帰ってきた。


アジアからはるばる運んできた貿易品をロンドンの取引所で売却すると、ソブリン金貨600枚分もの利益になった。

メアリ1世の肖像が彫られたソブリン金貨は、1枚=30s.(シリング)でイングランドの市場に流通している。

22カラット……91.7パーセントの金純度で鋳造されていたソブリン金貨1枚の価値は、ロンドンで働く労働者の1ヶ月分の稼ぎ(現代のお金に換算して約18万円~20万円)とほぼ等しかった。

それが600枚もの金貨の山になったのだから、金の塊の詰まった重たい袋を手にしたアタシたちがどれだけ歓喜したかは、想像に難くないだろう。

手に入れた金貨の半分は、航海をともにしてきた船乗りたちに公平に分配し、残りの半分は、スウェーデン・ストックホルム港の造船所に全額を手渡した。

アタシの艦隊にもう一隻、「新しい船」を加えるために。


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ストックホルムに発注した船が完成するまでの間、アタシは、ヨーロッパと北アフリカの諸地域を探索する傍ら、自らの片腕となってくれる優秀な「副官」を雇用するために、地中海沿岸の街を巡っていた。

地中海のさらに東の奥へと船を走らせ、北アフリカの都市アレクサンドリアに停泊した後、小船でナイル川を上った。

アレクサンドリアから数日ほど南の先にあるギザの砂漠で目の当たりにした巨大な建造物、同じ人間が創造したとは思えない精巧なピラミッドの神がかり的な造形を、アタシは生涯忘れることができないだろう。


それから再びアレクサンドリアに戻り、オスマントルコ領内のエーゲ海を北に抜けて、ほどなくしてマルマラ海に入った。

マルマラ海をさらに北に上ると黒海があり、それら二つの内海は、川のように細長いボスポラス海峡を通じて南北に繋がっている。

黒海へと繋がる海峡の入り口には、オスマントルコ帝国の首都「イスタンブール」があった。


イスタンブールは、ヨーロッパとアジアを東西に隔てているボスポラス海峡の西側に位置している都市で、オスマントルコ帝国に征服される以前は、コンスタンティノープルという名の古い都だった。

アジアの大陸を東に臨む都の丘には、6世紀の東ローマ帝国時代に建てられたアヤソフィア宮殿が、キリスト教国の中心地として栄えた往事の栄華を世に知らしめるようにそびえていた。

かつてはローマ・カトリックの大聖堂としてヨーロッパ各地から多くの巡礼者を集めてきたその古い宮殿も、今はイスラム教のモスクに変わり、異教の言葉で唱えられるコーランの清らかな祈りの声が響いている。


モスクの外に設けられていた巡礼者用の小さな喫茶所で、一人の若い女性を見かけた。

ターバンを巻いた髭面の厳めしい男たちに混じって、イスラムティーのチャイを独りで飲んでいたその女性に興味を覚えたアタシは、たどたどしいアラビア語で話しかけてみた。

すると、声をかけたアタシもまったく予想もしなかったことに、ムスリムの女性が日常的に被っているビジャヴで顔を覆った彼女の口から、英国人のアタシも驚くほど上品で正確なクイーンズ・イングリッシュが返ってきたのだった。


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彼女は、アタシと同じ20代前半ほどの成人女性で、肌は白く、瞳は淡いオリーブ色をしていた。

ビジャヴの下に編みこまれた長い髪がブロンドではなく、コールタールのように深い艶やかな黒髪だったことを除けば、ギリシア・ローマ時代の塑像を思わせる鼻筋の通った面長の彼女は、アタシと同じ人種であるようにも見えた。

絹の道、シルクロードの中継地点として栄えてきたコンスタンティノープルの都は、古くからアジアとヨーロッパの文化と血が混ざり合ってきた土地だ。

そんな地で生まれた彼女の身体にアタシと同じ祖先の血が流れていても、不思議なことではないのかもしれない。


彼女は、「ウィルカ」という名前だった。

トルコ人であるウィルカは、生まれの国の言葉のアラビア語はもちろん、英語とイスパニア語にも堪能で、いくつかのヨーロッパの言語も理解することができた。

どういう経緯で習得したのかはわからないが、新大陸のメヒコ(メキシコ)で話されているナワトル語に加えて、南米の先住民の言葉であるケチュア語も話すことができるらしい。

さらに特筆すべきことは、女性でありながら、アタシも舌を巻くほどの操船知識を持ち合わせていたことだ。

それらの言語の知識や船乗りとしての経験は、ウィルカが14歳ほどの少女だったときから、北アフリカの海賊「バルバリア海賊」の一員として地中海一帯の国々を巡っていたときに身につけたものだという。


そんな逸材に、しかも自分とよく似た女性と異教の地で出会えたことは、神の思し召しとも言える奇跡に思えた。

ウィルカに一目惚れしたアタシは、自分の副官として艦隊に加わってもらうために、ビジャヴを被った異教の船乗りを口説き落とそうとした。

でも、黄金色に輝くソブリン金貨をテーブルに10枚積んでも、20枚積んでも、彼女は首を縦に振ろうとしなかった。


――お金は要らない。


積まれた金貨には目もくれず、潮風で乾いた唇に黙々とチャイを付けていたウィルカが言った。

「そのかわり、南米の『リマ』まで自分を連れて行ってほしい」


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毎日、十分な食事と新鮮な水を配給すること。

独りだけになれる専用の船室を提供すること。

リマの街に着いたら、任を解いて船から降りても構わないこと。


アタシが提示した三つの条件を、ウィルカは承諾した。

そうしてウィルカは、アタシの副官になった。


…ううん。

時空の旅人として生きることになったアタシの忘れることのできない、「時を越えた生涯の友人」との出会いだった。

(つづく)



この文章は、コーエーテクモゲームス『大航海時代 Online』の世界観と舞台、登場人物をモチーフに、筆者ウィルカが創作したものです。

実際の『大航海時代 Online』のストーリー、その他とは直接関係ありません。



(C)コーエーテクモゲームス All rights reserved.




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