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2019年4月30日 (火)

「愛宕神社」 兵庫県加古川市八幡町

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愛宕神社(あたごじんじゃ)

主祭神 軻遇突智神(かぐつちのかみ)
配祀神 なし
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市八幡町中西条字城山931

 

加古川市北部の町、八幡の「城山(じょやま)」の頂に鎮座する神社。

配祀神はおらず、火の神である「軻遇突智神」を主祭神に祀っている。

*


Img_1679 「愛宕神社参道入口」

「城山」の頂上には、いくつかの道を通って至ることができるが、本殿と繋がっている石段の道が本来の参道であるので、城山の南側にある参道入口から愛宕神社の本殿にお参りすることにした。

参道入口付近に建てられている小さなお堂に、地蔵菩薩……「お地蔵さん」が祀られていた。
私は昔から「お地蔵さん」が好きで、道端でお見掛けしたら、なるべく手を合わせるようにしている。

「おん かかか びさんまえい そわか」

なにか困ったことや不安な気持ちに襲われたとき、心の中でこのおまじない……「地蔵菩薩真言」を唱えると、不思議と心穏やかな気持ちになれるのだ。

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「愛宕神社参道」

参道の入り口に鳥居はなく、お地蔵さんのお堂の脇に、古びた石の階段が設けられている。
「わがまち加古川60選 西条の城山」と記された小さな案内看板が立てられている。

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しばらく登ると石段が消え、代わって、枯葉に埋もれた小道らしきものが現れる。
「道」というより、「溝」といったほうが適切なのかもしれない。
傾斜もかなりきついので、雨の日などは、ぬかるんだ地面と枯葉に足を取られて歩くこともままならないだろう。

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やがて、枯葉の小道は四つ辻と合流し、そこから再び石段の道になる。
石の階段のてっぺんにある樹木のトンネルの向こうに、ぽっかりと空いた青空の出口が見えた。

Img_1663 「愛宕神社境内」

樹木のトンネルを抜けると、朝の澄み切った青空の下で鮮やかな桃色の花を咲かせている二本の山茶花(さざんか)の木が、息を切らせて参道を登ってきた私を出迎えてくれた。

本殿の正面に対になって植えられている夫婦のような山茶花の木が、私には、この神社の「鳥居」であるように思えた。
山茶花の間をくぐり抜け、奥に見える本殿でお参りをする。

Img_1665 「愛宕神社本殿」

「愛宕神社」のご神体がお祭りされている切妻造りの小さな祭殿(本殿)は、堅固なコンクリート製の本殿兼拝殿の内部に守られるようにして納められている。

神様そのものである「ご神体」を写真に撮ることは無理だとしても、お祭りされているお社……本殿の外観を撮影するくらいなら神様も許して下さるだろうと思い、お参りを済ませたあとに、一礼して、拝殿の格子の隙間から写真を撮らせていただいた。

高床式の神殿、銅箔の張られた瓦のない切妻屋根、しめ縄で飾られた扉。これこそ、太古より「日本古来の神」が住まわれてきた家の形なのだろう。

本殿の扉を覆っている幕には、ほかの神社でもよく見られる「左三つ巴(ひだりみつともえ)」の紋が描かれている。

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「左三つ巴」紋


日本古来の装飾品「勾玉(まがたま)」を象ったような三つの巴が、時計回りに渦を巻くように意匠されている。

時計回りと言えば「右回転」であるが、巴の「頭」ではなく「尾」に着目してみると、それぞれの巴の尾の先端が、頭の中心からぐるぐると外向き(左向き)に渦を描きながら「左回転」していることがわかる。

よって、この紋は「左三つ巴」とされる説がある。

三つの巴が「水の渦」のようにも見えることから、古来より「火除け」の意味合いがあり、寺社や屋敷の屋根瓦などにこの紋が広く用いられている。

各地の「愛宕神社」が、火の神である「軻遇突智神」を多く祀っていることからも、おもに火事から村や人々を護るために建立されていることがわかる。

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拝殿の後ろ側に回ってみると、どういうわけだか知らないが、壁際の棚のようなスペースに、「ドングリ」がびっしりと集められていた。
湾曲した5本の細い木枝が半月様に組まれ、その内側に、大小100個ほどもあるドングリの実が整然と敷き詰められている。
神社に遊びにやって来た近所の子供たちが、雑木林に落ちているドングリを拾い集めてきて、ここにひとつひとつ並べ置いたのだろうか?

それにしては丁寧で、なにか呪術的な意味が込められているようにも思える。
ひょっとしたら、城山のどこかに住んでいる「狐」が、林に落ちているドングリをせっせと拾い集めては、神社に奉納したものなのかもしれない。

そんな光景がふと脳裏に思い浮かんだ私は、神聖な「結界」には手を触れずに、その場をあとにすることにした。

Img_1668 「境内摂社」

本殿うしろの敷地に祀られている小さなお社。
コンクリート造りのりっぱな建物に守られた本殿とは対照的に、長い間手入れもされていないらしい簡素な摂社は、割れた寝具とともに野ざらしになっていた。

Img_1667 石のベンチが置かれた神社の裏側は、ちょっとした「展望スポット」になっており、加古川北部の街並みを山の上から見渡すことができる。

写真の左側に見える大きな川が、市名の由来にもなっている一級河川の「加古川」で、川の下側には「加古川大堰(かこがわおおぜき)」があり、中央部には「上荘橋(かみそうばし)」、最奥には、JR加古川線の「加古川第二橋梁」が架けられているのが見える。

治水の要となっている加古川大堰の上流部は障害物もなく、十分な川幅と豊富な水量が常に確保されているため、「レガッタ」の練習や公式試合の競技場としても利用される。

「城山」のちょうど西にあたる方角に「愛宕山」があり、加古川を挟んだ東西それぞれの山の頂には、同じ「軻遇突智神」を祀った「愛宕神社」がある。
愛宕山と城山に鎮座している二人の神様は、互いの顔を山の上から窺っているのかもしれない。

Img_1671 「西条城跡」

愛宕神社のある城山は、かつて存在していた「西条城」の城跡とされている場所で、境内に設けられている案内看板には以下のような記述がある。


西条の城山(さいじょうのじょやま)

「標高85メートルの城山は、赤松則村(円心)(1277-1350)の城館跡と伝えられていることから、西条城跡の遺跡になっています。

江戸時代中期の地誌である『播磨鑑』には、中西条村から東へ2丁(約218m)の場所にあり、長さ140間(約265m)、横幅100間(約182m)、高さ84間(約153m)と記されています。

また、この城山には、建武3年(1336)に建立された紫鳳山法雲禅寺という寺院がありましたが、江戸時代には廃寺となったことが記されています。」

平成26年3月 加古川市教育委員会


赤松氏第4代当主であり、禅宗に帰依していた「赤松則村」という名のある武将は、知略に長け、戦上手の剛腕無双の武士でありながら、義理堅く、情に厚い人物だったと評されている。

鎌倉幕府打倒を掲げた「後醍醐天皇」と、室幕幕府の樹立を目指す「足利尊氏」の挙兵に応じ、両君を大いに助け、数々の武功をあげた則村は、現在の加古川を含む播磨の国を治める守護大名として「播磨守護職」に任じられた。

後醍醐天皇が挙兵に及んだ「元弘の乱」においては、鎌倉幕府方に内通しようとした一族の高田氏を、ここ「西条城」で迎え撃ち、敗退させたとされている。

その赤松氏の家紋が、西条城のあった城山に祀られている愛宕神社と同じ「左三つ巴」の紋であることも、偶然ではないだろう。

「具平親王神社」に祀られている「具平親王」の子孫である赤松氏は、のちに、京極氏、一色氏、山名氏とともに、室町幕府の軍事指揮等を担う要職の「四職家」のひとつとなり、播磨・摂津・美作・備前の四か国を領する大大名(だいだいみょう)となった。

しかし、守護大名赤松氏の守護代であった浦上氏による専横と、尼子氏、三好氏などの新興勢力の台頭により、室町幕府の名門として隆盛を極めた赤松氏の勢いは急速に衰退してゆくことになる。

時が変わり、天下統一を目前にした織田信長が臣下の羽柴秀吉に命じて播磨を支配下に置いたころには、赤松氏の勢力は事実上消滅しており、もはや名目だけの大名にすぎなかった。

その後、豊臣家の一家臣として関ヶ原の戦いで西軍についた赤松氏は所領を失い、大阪の陣で豊臣家が滅亡すると、帰農して郷士……土着の武士となった。
ここに、武家としての赤松氏は滅亡したのである。

私事で恐縮ではあるが、沖縄近くの離島出身の私の父方の先祖は、もともとは九州の島津氏の流れを汲む武士であり、「江戸幕府の滅亡後に武士を捨てて農民になった」という話を、亡き父から伝え聞いた。

その割には、直系の嫡男であるはずの私は先祖代々の系図や刀などもいっさい受け継いでいないので、自身の先祖が島津氏だったという事実も真偽のほどは疑わしいものなのだが……。

とはいえ、今の私の地元である播磨地方の名門赤松氏の衰退と、はるか海の向こうの琉球で暮していた自身の先祖の境遇がどこか似ていることに、この城山に残る愛宕神社を訪れた私も、不思議な縁のようなものを感じずにはいられなかった。


平成31年年4月4日参拝 ウィルカ




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