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2019年4月30日 (火)

「稲荷神社」 兵庫県加古川市平岡町

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「稲荷神社」

主祭神 保食神(うけもちのかみ)
配祀神 なし
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市平岡町新在家559

兵庫県加古川市の南東の町、平岡町にある小さな稲荷神社。
配祀神はおらず、食物の神である「保食神」を主祭神に祀っている。

 

*

 

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「鳥居」

アスファルトで舗装された参道の入口に、朱色に塗られた木製の明神鳥居が2基建てられている。

「兵庫県神社庁」によると、当該神社は「地神社」と表記されているが、「稲荷神社」の特徴のひとつである「朱色の鳥居」が入口に建てられていることと、同神社の主祭神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」とともによく祀られている「保食神」が本殿に祀られていることから、「稲荷神社」だと考えられる。

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「本殿」

「本殿」というにはあまりにも小さなもので、神社には拝殿や玉垣・手水舎といったものもいっさいなく、観音開きの素朴な木戸のついた「石の祠」が、どこからか切り出してきたような岩の土台の上にぽつんと祀られているだけである。

祠の本体と屋根に使われている石も、土台と同じ岩から作られたものだと思われる。
手を合わせたあと、木戸の格子の隙間から祠の内側を覗いてみたが、ご神体らしきものが祀られている様子はなかった。

桔梗に似た薄紫色の花を咲かせた「蔓日々草(ツルニチニチソウ)」が、神社の敷地を覆いつくさんばかりに緑の蔓を伸ばしていた。
この「蔓日々草」は、南ヨーロッパから北アフリカにかけて広く分布している蔓性の植物で、「魔女のスミレ」というメルヘンチックな異名を持っている。

真冬でも枯れずに緑の蔓をたくましく伸ばしていることから、ヨーロッパでは「不死のシンボル」とされ、身に着けると「幸運」と「繁栄」をもたらしてくれるという。

遠い異国の地から海を越えて日本に飛んできた、魔女の花。
訪れる者が一人もいなくなっても、不死の花に守られたこの場所は、ずっと消えずに残ってゆくに違いない。
閉じられた扉に向けて、そっと差し出すように伸びているスミレ色の花が印象的だった。

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稲荷神社は、京都から九州まで繋がるかつての西国街道……「旧山陽道」のすぐ南側にあり、旧街道を挟んだ北西側には「地蔵尊」が祀られている。
向かい側の地蔵尊とともに、この稲荷神社が今も変わらず同じ場所に存在していることを、図書館に蔵書されている旧街道の古地図で確認することができた。

稲荷神社が鎮座しているのは、農業倉庫として使われている建物の裏側にある30坪にも満たない狭い土地で、高さ2mほどのこんもりとした土の山のようになっており、その上に先ほどの石の祠が建てられている。
土の山は「塚」のようにも見え、土の中に埋まっている「なにか」を鎮めるために、祠が祀られているふうにも感じられる。

かつて、私が両親や妹たちとともに暮らしていた実家は、この稲荷神社のすぐ近くにあった。

今は幹の半分が切られて以前の面影はまったく消えてしまっているが、神社の境内である雑草の茂った丘の脇には、なんの木だかはわからない大きな木が傘のように枝を張っていて、夏になると、その木にとまってやかましいくらいに鳴いている大量のクマゼミを、幼なじみの友人たちといっしょに捕まえたものだった。

セミのほかにも、アリやカマキリやヒカゲチョウ、ゴマダラカミキリといった昆虫や、カナヘビ、カタツムリなどの生き物たちが、その小さな世界で生きていた。

当時は祠の裏手にキイチゴの木も生えていて、イクラの卵のように実ったキイチゴの甘い粒を、大人たちの目を盗んでは、やぶ蚊に刺されながら無心に食べていたこともある。

まだ幼い子供だった当時の私にとって、そこは恰好の遊び場所のひとつだったと同時に、「なにか」が祀られている「神聖な空間」であるということを、子供ながらに感じ取っていた。

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稲荷神社から北東に150mほど離れた畑の中に、50㎝ほど土の盛り上がった「空き地」がある。
上の写真が、その「空き地」なのだが、そこはかつて「竹藪」があった場所だった。

……あれは、私がまだ5~6歳のころの話だったように思う。

その日の夕方、友達と別れて独りで遊んでいた私は、なんとなく近所を彷徨い歩いているうちに、いつのまにか「竹藪」の前に立っていた。

自分のいる小道から、鬱蒼と茂った竹藪の奥に向かって脇道が続いているのが見えた。

「竹藪の中」に何があるのか。

無性に知りたくなった私は、怖い気持ちよりも好奇心のほうが勝ち、誘われるままに竹藪の奥へと入っていった。

入口から、どれくらい歩いたのか。

その時間は、長かったようにも、一瞬だったようにも思える。
竹藪の奥にあったのは、小さな「お稲荷さん」だった。

ずいぶん長い間手入れもされていないらしい古い社の前には、泥で汚れた白磁のお椀や割れた燭台などが、枯れた竹の葉にまみれてあちこちに散らばっていたのをなんとなく覚えている。

ふと私は、半分開いた木戸の隙間から、社の中を覗いてみた。
そこには、台座に納められた丸い小さな鏡と、胴体から真っ二つに千切れて床に転がっている「白狐の首」があった。
それを見た私は急に恐ろしくなり、竹藪の中から一目散に逃げ出したのだった。

……今も時々「夢」に出てくる、私の記憶の中の竹藪は、林くらい大きかったようにも思えるし、裏庭ほど小さかったようにも思える。

しかし、実際に訪れて見たその場所は、私の遊び場だった「稲荷神社」とほぼ同じくらいの小さな土地だった。

「そんなところに『お稲荷さん』なんかあったけ?」

あの日、半べそをかきながら家に帰ってきた私に、在りし日の母が首を傾げていたのを思い出す。

おそらく、その竹藪は私有地で、子供のころに私が見た「お稲荷さん」も、竹藪の持ち主が個人で建立してお祀りしていた神社だったのだろう。

あれから40年の時が過ぎ、「二つの小さな稲荷神社」を再び私が訪れたのも、「なにか」に誘われたからのような気がした。

 

平成31年4月15日参拝




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