「愛宕神社」 兵庫県加古川市平荘町

愛宕神社(あたごじんじゃ)
主祭神 「軻遇突智神」(かぐつちのかみ)
配祀神 「毘沙門天神」(びしゃもんてんのかみ)
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市平荘町里126-1
加古川市北部に所在する人造湖「平荘湖(へいそうこ)」東岸の「愛宕山(あたごやま)」に鎮座している神社。
建立年は不明。神社の由来を著している文献や資料が残っていないので詳細はわからないが、兵庫県の神社を統括している「兵庫県神社庁」のウェブサイトには「愛宕神社」という名称がはっきりと記載されているので、神社名については間違いないものである。
京都府にある総本社「愛宕神社」の祭神のひとりとして祀られている主祭神「軻遇突智神」(かぐつちのかみ)のほかに、こちらのお社には、配祀神(はいししん=主神以外の神)として「毘沙門天神」(びしゃもんてんのかみ)が祀られている。
すぐ近くにある「平荘湖」を訪れる人は多いが、山上にあるこの神社の存在を知る人はほとんどいない。
拝殿をはじめ、境内に散在している古い祠の数々も腐食が進み、長い間手入れがされないままの状態になっている。
愛宕神社までのルートマップ (ウィルカ作成)
*
①「駐車場」
平荘湖に設けられている正規の駐車場ではないものの、「平荘第1ダム」西側にある公衆トイレ付近の道路は駐車禁止ではないため(入口など一部の場所を除く)、数台ほどの車を止めることが可能となっている。 ②「嶽山登山口」
「平荘第1ダム」東側の道脇に、「嶽山登山口」と記された手書きの道標が設置されている。
本来ならば、「愛宕山」の北にある⑨番「参道入口」の鳥居をくぐってから本殿にお参りするのが正しい作法である。
しかしながら、現在、鳥居のある場所は私有地(ゲートボール場)として使用されているので立ち入ることができない。そのため、平荘第1ダム東側の②番「嶽山登山口」側から「嶽山」を登り、尾根伝いに歩いて、嶽山の北に繋がっているもう一つの山「愛宕山」を目指すしか方法がない。
嶽山には二つの尾根があり、愛宕神社の本殿は、二つの尾根を越えた先にある愛宕山の山頂下あたりに設けられている。
登山口から本殿までは500mほどの距離で、所要時間は20分~30分程度。
ただし、登山道は荒れており、途中にも危険な箇所が多々あるため、体力に自信のある健常な大人以外は登山道に立ち入らないほうが無難。
<注意>小さな子供やお年寄り、身体に障がいを持った方々が登山道を通って本殿にたどり着くことは不可能です。また、成人男性の介助があっても大変な危険と困難が伴い、重大事故の恐れもあるので、絶対にやめてください。 ③「三叉路分岐点」
この三叉路からそのまま東に直進すれば、墓地と地蔵寺のある集落に抜け、北に続く登山道を登れば、嶽山山頂に至ることができる。
間違って入ってきたときや、登山に自信がない場合は、ここから来た道を西に引き返せば、先ほどの登山口まで戻ることができる。
③「三叉路分岐点」~④「鉄塔1」に至る道
鉄塔への途上には岩場があり、付近にはこのような瓦礫が散らばっている。
実はこれらの石は瓦礫ではなく、風雨に晒された遺跡の一部が地面に露出したもので、人為的に石が積まれた形跡も確認できる。
古来より有力な豪族が存在していた加古川の各地には、二千年以上が過ぎた現代でも古墳時代の遺跡が多数発掘されており、平荘湖一帯にも「平荘湖古墳群」として多くの遺跡が点在している。 ④「鉄塔1」
遺跡の道を登ると、送電線の鉄塔が敷設された嶽山の一つ目の尾根の頂に出る。
一見するとここで行き止まりのように思えるが、鉄塔の根元にある大きな一枚岩に鉄製の梯子が垂直に据え付けられており、⑤番「嶽山山頂」に至るためには、下の写真に見られる鉄梯子を伝って、5mほど真下に見える地面まで慎重に降りてゆかなければならない。
まずここで、多くの人が登山を断念することになる。 …「こんな梯子」を日常の世界で実際に使う機会なんて、一生のうちでもそうそうないだろう。
『ドラゴンクエスト』の世界では、私もよく「こんな梯子」を登り降ろしてるけど(笑) ④「鉄塔1」~⑤「嶽山山頂」に至る道
この写真は、⑤嶽山山頂の岩場から西向きに撮影したもの。実際の登山道は山の木々の中に続いている。
奥の尾根の上に見えるのが先ほどの鉄塔。
⑤「嶽山山頂」
鉄塔1の梯子を降りてしばらく東に進むと、二つ目の尾根となる「嶽山」(海抜96m)の山頂と思しき開けた場所に出る。
登山道から少し張り出たところに岩場があり、遠くに見える「加古川」と「加古川市街」を眺望することができるが、岩場のすぐ下は崖なので注意が必要。山頂は100mほどの高さがあるので、誤って崖下に滑落すれば、まず無事ではすまないだろう。 ⑤「嶽山山頂」~⑥「鉄塔2(愛宕山山頂)」に至る道
鬱蒼とした山の木々の間を、枯葉の堆積した細い小道が続く。春の今ごろは、時おりタテハチョウ科の大形の蝶が優雅に空中を舞っているのを見かけるくらいだが、真夏にここを歩けば、蝉時雨の中で猛烈な蚊の襲来に遭うのは想像に難くない。 ⑥「鉄塔2(愛宕山山頂)」
嶽山山頂から尾根伝いに北へ降りた先で、二つ目の鉄塔が敷設されている地点…「愛宕山」の山頂に出る。この付近で登山道が自然の中に消えかけているので少し戸惑うが、目指す愛宕神社はすぐ下の平地にあるので道に迷わないように注意して進む。
「鉄塔2(愛宕山山頂)」~⑦「愛宕神社」に至る道
鉄塔2を少し下った場所に、このような人為的な石積が遺されている。
これも遺跡の一部とみられ、このあたりは「地蔵寺3号墳」として市に指定されている。しかしながら、その遺跡を示す木製の角柱も半ばで折れて、付近の木の根元に打ち捨てられていた。
この石を積み上げた人は、どういう想いでこの場所にいたのだろう。今はこの世にいない人の手で二千年前に積み上げられた石が、そのときの時間と姿のまま止まっている。
⑦「愛宕神社」
登山口から歩いておよそ20分後。
ようやく「愛宕神社」にたどり着く。
訪れる人もなく、落ち葉の積もった境内の奥にひっそりと佇んでいる小さな本殿にお参りをする。 朽ちかけて苔むした拝殿の扉は、銀色に光る鉄製の鎖で頑丈に「封印」されていた。
格子の間から覗いてみると、社の中に、さらに小さな社が祀られてあるのが見える。
その小さな社こそが、愛宕神社の本殿なのだろう。
本殿の中央にぶら下がっている鈴の鈴緒(すずお)は、外側の社のくたびれ方に対してまだ新しく、おそらくはこの神社を管理している「平之荘神社(へいのそうじんじゃ)」の方々が、こちらの愛宕神社の例祭日として定められている10月21日に、新しい鈴緒と取り換えているものと思われる。
境内は荒れていても、この小さなお社の神様が蔑ろにされているのではけっしてなく、今でも地元の人たちに大切に信仰されていることに、よそ者の私も心温かな気持ちになれた。 本殿の前にある御神灯。
側面に「天保十三年寅年」の字彫りがなされている。
天保13年…西暦1842年に生まれたこの御神灯は、177年の間、この場所に独りで立って、本殿にお参りする人たちの背中を見守り続けてきたに違いない。
年老いた自分の身体に蝋燭の炎が点される日は、もう二度と来ないと知りながら。

境内に点在している小さな祠。
今は空っぽだが、昔は各々の祠の中に、それぞれの神様が住んでいたに違いない。
境内にはこれらの祠のほかにも、「紀念碑」と記された大きな石碑と、「常夜灯」と記された小さな石柱があり、それぞれの側面には、「明治三十有八年七月建」、「弘北三年十二月吉日」と彫られてあった。 ⑧「愛宕神社参道」
境内下から入口までは、比較的最近に作られたと思われるコンクリート製の階段がつづら折りになって続いている。
入口から170mほどの距離があり、この石段を歩いて登るだけでも相当の体力を要することになる。
⑨「愛宕神社参道入口鳥居」
総本社「愛宕神社」の鳥居である「明神鳥居(みょうじんとりい)」と同じ形式で作られた鳥居。
本来なら、ここで一礼してから鳥居をくぐり、本殿にお参りするのが神様への礼儀だが、先述のようにこの鳥居が建てられている広場は「老人会のゲートボール場」となっており、「用のない者の立ち入り禁止」という札とともに広場への門が閉じられている。
…が、実際は人が通れるだけの隙間が開けられていた。
「わしは神様に『御用』があるんじゃ~!」と言ってそのまま立ち入ろうかとも思ったが、やはり不法侵入になってしまう恐れがあったので断念して、「嶽山登山口」のほうから入ってお参りをした。
しかし、「鳥居」からお参りせずに「裏山」からいきなり神社に入るなど、人様の家を訪問したときに、「玄関」から入らずに「勝手口」から挨拶もなく入るようなものだろう。
私有地であるので、部外者がゲートボール場に無断で立ち入ることを禁じるのは当然だとしても、神社にお参りするためにはどうしても通らなくてはならない鳥居のある土地にあとからゲートボール場を作っておきながら、「用のないものは入るな」と一般の参拝者まで締め出すのは如何なものか?…と思わなくもない。
山の上に住んでおられる神様は、「一部の人」ではなく「多くの人」にお参りに来てもらいたいと望んでいるのではないだろうか?
<おわりに>
「愛宕神社」を私が訪問したのは、今回で「二度目」である。
「一度目」に訪れたのは、今から二十年以上も昔の、私がまだ成人して間もないころだ。
ふとしたきっかけで、今でも親交のある古い友人と「『あの神社』へ行ってみよう」という話になり、私たちがずっと気になっていたその場所に、軽い気持ちで訪れてみたのだった。
神社の鳥居が建てられている土地には当時からゲートボール場があったが、立ち入り禁止の札もなく、だれでも入れるような環境だったと記憶している。
この文章を書いている今日と同じように、若かりし私たちが訪れたその日も、そろそろ桜の花が満開になるころで、ゲートボール場に植えられていた一本の桜の木が、花冷えの寒の残るはるのひの陽だまりの中で、薄桃色の花びらを裏表に音もなく散らせていた。
「……今の、見えた?」
本殿にお参りしたあと、鳥居のある広場まで戻ってきたとき、私の隣に並んで歩いていた友人がふいに立ち止まり、私に尋ねた。
「なにが?」
「あそこに、『おった』やろう?」友人は前を向いたまま、ぼそりと言った。
「かすりの着物を着た男が、俺らのことをずっと見とったんや」
私は、今しがた自分たちがいた神社のほうを見上げてみたが、今もさっきも、友人の言うような「男」はいっさい見えなかった。
「もうおらへんけど、境内からは出られへんみたいで、俺らが鳥居から出るまでの間、上からじいっと見つめとったわ。……あんな古い着物を着た男。今の時代の人間やないで」
私もそのとき初めて知らされたことだが、私の友人はいわゆる「見える人」で、今までにも何度か同じような体験をしてきたという話だった。
「有名な神社は大丈夫やけど、そこらへんにある古い神社には独りで行かんほうがええで。『祟り』を鎮めるためにその場所に封じられとう神様もおるから。それから、知らん神社でむやみにお願い事もしたらあかんで。神様は見返りを求めるからな」
霊感などまったくない私も、私には見えない「男」がいたという本殿のほうを振り向かずに話す友人の言葉に、そのときは黙って頷くほかなかった。
「平荘湖」 今もこの湖の下に、丸ごとひとつの村が眠っている。
……それから20数年後。
もう一度、私は「あの神社」に行ってみたいと思った。
「あの神社」は、訪れる人々に「祟り」をもたらすような怖い存在ではなく、そこに、この世のものではない「だれか」がいたとしても、それは「悪いもの」ではないような気がした。
神社のそばにある「平荘湖」は、今から50年以上昔に、もともとその地にあった村を丸ごと沈めて作った人造ダム湖である。
もうひとつの人造湖である「権現湖(ごんげんこ)」と、市内を流れる「加古川」とともに、私たち27万人の加古川市民の喉を潤している「平荘湖」の底には、「又部新田村(またべにったむら)」という過去に存在していたひとつの村が、今も水中深くに没している。
そこで産まれて死んでいった、たくさんの人たちの記憶や村の歴史とともに。
湖が作られる前には、きっと「あの神社」も、山の上から村人たちの生活を見守っていたに違いない。
もしかしたら、友人の見たという「男」は、昔、又部新田村に住んでいた村人の一人だったのではないだろうか。
その想いだけが、湖の底に村が沈んでしまった今でも残っている神社にずっと住みついていて、神社に訪れてくれる人を待っているのではないだろうか。
そう感じた私は、今度は独りで、「あの神社」にお参りをした。
でも、やっぱり私には、今度も「男」の姿は見えなかった。
25年前のあの日と同じように、苔むした社や古い祠が、人気のない境内に無言で佇んでいるだけだった。
神社に差す日の光は明るく、温かだった。
「また、来ますね」
心の中でそう言って、私は神社をあとにした。 当時(23歳のころ)の私 「平荘湖」で撮影
さて。
当時の私は、「カメラ」に凝っていました。
今のように、シャッターボタンを押せばだれでも簡単にきれいな写真が撮れる「デジカメ」というシロモノは、まだ存在していなかった時代です。
私が使っていたのは、カメラ本体に装てんした「フィルム」に映像を露光させる「銀塩カメラ」と呼ばれる種類のもので、キヤノン製の一眼レフカメラを愛用していました。
露出をカメラが自動で設定してくれる「AEカメラ」といわれるものや、自動でフォーカス(焦点=ピント)を合わせてくれる「AFカメラ」なども、そのころからすでに存在していましたが、カメラを趣味としていた当時の私は、すべて「マニュアル」で撮影をしていました。
上の写真は、「平荘湖古墳群」の探索に来た折に湖畔で撮影したもので、カメラの露出や写真の構図などは自分が決めて、いっしょにいた友人にシャッターボタンだけを押してもらいました。
そうして撮れたのが、私のお気に入りの一枚であるこの写真なのです。
ちなみに、写真が「カラー」ではなく「白黒」なのは、当時の私が「白黒写真」に凝っていたせいです。
…にしても、まだ若いわあ~私(笑)
平成31年4月4日参拝 ウィルカ
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