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2019年5月に作成された記事

2019年5月 6日 (月)

「稲荷神社」 大阪府豊能郡能勢町下田尻

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「稲荷神社」

主祭神 不明(宇迦之御魂神?)
配祀神 不明
建立年 不明(900年~頃?)
所在地 大阪府豊能郡能勢町下田尻

大阪府北部、能勢(のせ)町の山間にある稲荷神社。

主祭神および配祀神は不明だが、こちらのお社は「稲荷神社」であることから、「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」を祀っているものと思われる。

 

*

 

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「参道入口鳥居」

朱色に塗られた木製の「明神鳥居」。
入口の両脇に、「信田の森(安倍保名と葛葉)」と記された小さな標識と、能勢町教育委員会が設置した近代的な案内板がある。

この鳥居のすぐ後ろに、もともとあったと思われる「石の鳥居」の基礎だけが残されていた。

予め地図で念入りに場所を確認してからこの神社を訪れたはずだったのだが、鳥居の周囲には雑草や草木が生い茂っていて森と入口の見分けが付きにくくなっているため、最初はここが神社の入り口だとはわからずに迷ってしまうはめになった。

入口のすぐ前は片側一車線の比較的大きな道路になっているが、車を運転していたら、森に埋もれたこの神社の存在などまったく気づくこともないまま通り過ぎてしまうだろう。

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「参道」

落ち葉と枯れ枝に飾られた古びた石段を昇る。
この参道を踏みしめる人も、今はほとんどいないのだろう。

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「境内」

参道入口の鳥居よりも少し小さな木製の鳥居と、水の枯れた手水舎が境内にあり、鳥居をくぐった階段の上に拝殿が建てられている。

私が好んで訪れる神社は、人々から忘れ去られたようにして山の奥や里の片隅にひっそりと建っている、「名も知れない小さな社」がほとんどだ。

元来人嫌いな私は、他人といっしょに行動したり、人の集まるところに行くのが子供のころから苦手で、周りに誰もいない静かな空間で過ごすほうが落ち着くからである。

人気のない森の中にある小さな境内に身を置いていると、心も身体も洗われて安らいだ気持ちになれた。

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「拝殿」

6畳ほどの四角い拝殿の中に、さらに小さな「本殿」が鎮座している。

風雨に晒されている拝殿は各所に傷みや劣化も見られたが、内部に納められている本殿のほうは傷みもなくきれいな状態で、例祭時に使われていると思われる太鼓や、まだそれほど消耗していない蝋燭が刺されたままの燭台などが、本殿の脇と手前に揃えられていた。

拝殿の正面に吊り下げられた鈴の上には古い銅鑼と白熱灯が取り付けられており、白熱灯は昼夜を問わず点灯しているふうである。

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本殿の裏手には、木々の生い茂った「信田の森」が広がっている。

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境内の西側には、「安倍保名(あべのやすな)」の墓とされる供養塔があった。

以下は、参道入口鳥居の脇に設置されている案内看板の説明文である。

 

「豊篋印塔(ほうきょういんとう)」 室町時代初期総高 一三〇・四センチメートル

本塔の基礎部には、正面と左右の側面に格狭間(こうざま)を刻み、その内に開花蓮(かいかれん)を配している。
すなわち近江式装飾文(おうみしきそうしょくもん)といわれ、これが三面に刻まれているのは本町内でこの塔だけである。
塔身部の東面には弥陀坐像(みだざぞう)を配し、他の三面には線刻蓮華座上(せんこくれんげざじょう)の月輪(がちりん)内に、金剛界四仏(こんごうかいしぶつ)の種子(しゅじ)を刻んでいる特殊な塔である。
きわめてていねいな手法に加えて、各部の損傷は一切なく、石塔の永劫不壊を目でみるようであり、さらには地域の保名(やすな)にかかる厚い信仰心が支えてきたといえよう。

(能勢町教育委員会)

 

……というものであるが、仏教の専門用語やら何やらは、素人の私にはほとんど理解できない。

とにかく、「豊篋印塔」と呼ばれるこのりっぱな供養塔が、「安倍保名」という人物のために作られたことは間違いない。

さて、この墓?の下で今も安らかな眠りに就いている……と思われる「安倍保名」なる人物は、先ほどの能勢町教育委員会の案内看板によると、史実では源義仲の家来である藤原仲光と行動し、負傷を癒すために、愛妾の「葛の葉」とともに付近の霊泉で湯治したとされ、応和二壬戌年(962年)3月23日、72歳で逝去した安倍保名の亡骸を、塚を築いてこの地に葬ったと記されている。

その塚が、この供養塔なのだろうか?

史実以外では、いくつかの物語などにもその名が見られるが、江戸時代中期の浄瑠璃作家、竹田出雲が著した浄瑠璃『芦屋道満大内鏡(あしやどうまんおおうちかがみ)』の中にも、安倍保名が主要人物として描かれている。

今は昔。
朱雀天皇の時代に、賀茂保憲(かものやすなり)という高名な陰陽師がいた。
その保憲には、安倍保名(あべのやすな)と芦屋道満(あしやどうまん)という、とくに秀でた二人の弟子がいたが、自身の後継者をどちらとするかを定める前に保憲は逝去してしまった。
保憲には、榊の前(さかきのまえ)という美しい養女がおり、保憲の弟子の一人の安倍保名と娘の榊の前は相思相愛の恋仲でもあった。
しかし、榊の前は宮中の権力争いに巻き込まれ、これがもとで榊の前は自らの命を絶ってしまう。
最愛の恋人を失い、絶望に打ちひしがれて気の触れた保名は、榊の前の小袖を形見に手にすると、陰陽師としての地位や栄誉や名声も捨てて都から去ってしまった。
愛する榊の前の小袖とともに放浪を続けた保名は、やがて辿り着いた信太(しのだ)の里で、死んだはずの恋人である榊の前と再会する。
しかし、保名が榊の前だと思ったその娘は信太の里の村長の娘で、死んだ榊の前の妹である葛の葉(くずのは)姫だった。
葛の葉姫に、かつての恋人だった榊の前の面影を重ねた保名は葛の葉と結婚し、信太の里でともに暮らすこととなった。

あるとき。
保名は、信太の里の森の中で、傷を負った白い狐の命を助けた。
その白狐は、世継ぎの生まれない皇后の身を癒す神薬として献上するために、石川悪右衛門という武士に追われていた女狐だった。
しかし、白狐の命を助けたことで保名もまた悪右衛門に付け狙われることになり、白狐は葛の葉の姿に化けて、悪右衛門に深手の傷を負わされた保名を献身的に介抱した。
やがて、傷の癒えた保名は、自分を介抱してくれた葛の葉が白狐が化けた姿だとは気づかぬまま、悪右衛門の手から逃れるために信太の里を離れて、狐の葛の葉とともに阿倍野の里に移り住んだ。
ほどなくして、狐の葛の葉との間に男の子が生まれ、童心丸と名づけた。
童心丸は幼いながらに賢く、大人のような落ち着きがあり、神々しさにも似た気品さえも漂わせていた。

そして、保名の本当の妻である葛の葉が、失踪した夫の保名が暮らしていると伝え聞いた阿倍野の里を訪れる日がやってきた。
もはや人間として保名や童心丸とともに暮らすことができなくなったことを悟った狐の葛の葉は、童心丸の眼前で白狐の姿に戻り、どこへともなくと逃げ去っていった。

 「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉」

という一首の歌を、愛する我が子に遺して。

やがて、成人した童心丸は「安倍晴明(あべのせいめい)」と名を改め、天才的な陰陽師として、後世にその名と数々の伝説な逸話を残すことになった。

 

以上が、『芦屋道満大内鑑』の中で描かれている「保名と葛の葉の恋物語」の概要である。
(概要の文章は、「泉州ドットコム」ウェブサイト内の「葛の葉神社・葛の葉伝説」のページを参考に作成させていただきました)

『芦屋道満大内鑑』は、さまざまな内容で伝わる伝承をもとに浄瑠璃向けに脚色されたものなので、実際の安倍保名と葛の葉の伝承とは若干異なっている点がある。

(伝承の一説では、安倍保名は都の陰陽師ではなく信太の村に住む善良な青年であり、信太の森で安倍保名に命を助けられた白狐が葛の葉という名の人間の女性に化けて保名を介抱し、恋仲となった二人の間に童心丸が生まれ、信太の村でいっしょに暮した。童心丸が5歳のとき、我が子に正体を見られた葛の葉が件の歌を遺し、白狐に戻って去っていった。…など)

ちなみに、安倍晴明の最大のライバルかつ生涯の宿敵であり道摩法師とも尊称される「蘆屋(芦屋)道満」は、私の地元の加古川市=播磨国出身である。

蘆屋道満ゆかりの史跡(道満が修行していたとされる正岸寺の祠や、式神(しきがみ)を封印したとされる古井戸など)も、いくつかが加古川市に今も残されている。

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この稲荷神社の参道の入り口には、記事の冒頭でも記したように、「信田の森(安倍保名と葛葉)」と書かれた小さな標識が建てられている(上の写真)。

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また、標識と対面して設置されている能勢町教育委員会の案内看板にも、ここが「信田の森(しのだのもり)」であることが同様に示されている(上の写真)。

しかしながら、葛の葉ゆかりの神社である「信太森葛葉稲荷神社」は、ここから南に40kmほど離れた和泉(いずみ)市にあり、その近辺に「信太の森(しのだのもり)」があったと言われている。

実際、信太森葛葉稲荷神社の近くには、地名に由来している「北信太」というJRの駅も存在している。

「信田」と「信太」。

字が異なるこれら二つの「しのだ」は、どちらが伝承にある本当の「しのだのもり」なのだろうか?

また、大阪府の中心地近くの大阪市阿倍野(あべの)区には、安倍晴明ゆかりの「安倍晴明神社」もあり、この神社の境内には安倍晴明が生まれたときに使ったと伝えられる産湯井の跡も残されている。

いったい、安倍晴明はどこで生まれたのだろうか?

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「葛の葉」という名の美しい娘に姿を変えて、愛する保名と童心丸とともに信太の里で幸せに暮らした白狐は、日本神話の豊饒の女神「宇迦之御魂神」に仕える神の遣いの狐であった。

遠く離れた街にある葛の葉ゆかりの「信太森葛葉稲荷神社」や、その子の安倍晴明を祀っている「安倍晴明神社」は、お守りや御朱印状を求める観光客と参拝客で毎日賑わっているが、安倍保名が眠っているこの山の神社には詣でる人もなく、森の中で朽ちるがままになっている。

今もこの「信田の森」で、白狐の葛の葉が、夫の墓を見守りながら静かに暮らしているのかもしれない。

令和元年5月5日参拝 ウィルカ




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