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2020年2月に作成された記事

2020年2月28日 (金)

「山ノ神社」 兵庫県加古川市八幡町

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山ノ神社(やまのじんじゃ)

主祭神 大山津見神(おおやまつみのかみ)
配祀神 大年神?(おおとしのかみ)
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市八幡町下村294

加古川市八幡町下村の集落の、小さな山に鎮座する山神社。
山の神である「大山津見神(おおやまつみのかみ)」を祀っている。

 

*

 

Img_1903「参道入口」

加古川市八幡町野村の「大歳神社」の西側を通っている県道84号線を北に進み、野村の交差点を少し上がった脇道を左に曲がり、田んぼに囲まれた農道を西に1kmほど進むと、下村の集落に突き当たる。
集落の南西にある小さな山の麓に、「山ノ神社」へと続く山道の入り口が設けられている。
グーグルマップ上に表示されている「山ノ神社」のラベルを目的地に指定すると、神社までの経路を正確に示してくれるが、なんの情報もなければ、ここが神社の参道だとは気がつかないだろう。

 

Img_1906 九十九折(つづらおり)の山道の途中に設けられたコンクリートブロックの階段。

20200210_042721299_ios 細い山道をさらに数十メートルほど登ると、山の頂上と思しき聖域に鎮座している「山ノ神社」に辿り着く。

 

Img_1904 「本殿」

比較的新しい時期に建てられたと思われる現代的な拝殿の内部に、「大山津見神」をお祀りしている小さな本殿が納められている。
「兵庫県神社庁」のウェブサイトの地図には、「山ノ神社」とほぼ同じ位置に「大歳神社」の名称が記載されていた。
境内摂社として「大歳神社」が建立されているのかもしれないと思い、本殿の周囲を伺ってみたが、それらしき別のお社は見当たらなかった。
もしかすると、こちらが「大歳神社」で、「山ノ神社」は別の場所に存在するのかもしれない。
しかしながら、山の頂上に本殿が建立されていることから推測すると、やはりこちらのお社が、山の神である「大山津見神」をお祀りしている「山ノ神社」なのだろう。
(もし違っていた場合はお詫びいたします。また、その際はご指摘いただければ幸いです)

 

<おわりに>

「山ノ神社」の西側に、「東播磨南北道路(県道18号線)」の八幡稲美ランプの出入り口が設けられている。
加古川市内の加古川バイパスから小野市内の国道175号線に至る道路として建設中のこの県道は、令和2年現在では終点となっている八幡稲美ランプ付近で南西方向から緩やかに東へ折れ曲がり、「山ノ神社」が鎮座している山を中央付近で東西に分断するように突き抜けて、小野市内の国道175号線を目指して北東方面へと延伸する予定になっている。
現在は、「山ノ神社」の山の南側の一部を切り崩して、バイパス橋脚の敷設工事が進められている。

Img_1908

Img_1907

建設中の「東播磨南北道路」
加古川方面(写真上)と小野方面(写真下)
令和2年2月10日撮影

この自動車道が全線開通すれば、加古川市と小野市を結ぶ狭い幹線道路をやむなく通行している大型自動車のほとんどはこの道を通行することになり、生活道路として幹線道路を日常的に利用している沿線住民の方々の安全も確保されるだろう。
道路工事をされている関係者の皆様のご安全を願うとともに、ご神体である神奈備(かんなび)の山の一部を切り分けて、道路の敷設を許していただいている「山ノ神社」の神様に、道路を利用している市民の一人として心から感謝いたします。

令和2年2月10日参拝




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2020年2月20日 (木)

「大歳神社」 兵庫県加古川市八幡町

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「大歳神社」

主祭神 大年神
配祀神 なし
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市八幡町野村363

兵庫県加古川市八幡町の「野村」の集落の片隅に建立されている小さな祠。
「大年神(おおとしのかみ)」をお祀りしている。

 

*

 

20200210_035406493_ios 「本殿」

高さ140センチほどの石製の本殿。
墓石などと同じ御影石(花崗岩?)が使われている本殿は、見た目もさることながら、様式も現代風で新しく、かつて同じ場所に存在していたと思われる古い木造の本殿を、こちらの新しい石製のものに作り替えたのだろうと推測される。
「兵庫県神社庁」によると、こちらの神社にお祀りされている祭神は、豊年を司る穀物神の「大年神(おおとしのかみ)」で、「大歳神社」と記されている。
「須佐之男命(すさのおのみこと)」の子である「大年神」は、同じ穀物神である女神「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」と兄妹の関係にある神であり、秋田県の「ナマハゲ」などと同じ、毎年の正月に村の家々を訪ねまわる「来訪神」でもある。
「お稲荷さん」として信仰されている妹の「宇迦之御魂神」と同じく、兄の「大年神」もまた、村や町に暮らす民衆たちに最も身近に親しまれてきた神様であろう。

 

20200210_035307879_ios 「青面金剛」

大歳神社のすぐ南側に隣接する土地には、仏教の「青面金剛明王(しょうめんこんごうみょうおう)」を祀る祠が建立されている。
祠の向かって左脇にある古い石碑に、その御名を示す「青面金剛」の文字が彫られている。
祠を戴いている台座と祭壇は、大歳神社本殿と同様に新しい様式のもので、もともとあった古い祠の下に、あとから据え付けられたものだと考えられる。
お祀りされている「青面金剛」は、人間の体内に棲むと伝えられる「三尸(さんし)」と呼ばれる悪虫を押さえる神(仏)とされ、もともとは、中国の「道教」の思想に由来する異教の神であった。
仏教では、「天部(てんぶ)」、「明王(みょうおう)」、「菩薩(ぼさつ)」、「如来(にょらい)」に分かれた四つの神格があり、異教の神であった「明王」に属する「青面金剛」は、ほかの「不動明王」や「孔雀明王」などとともに、「仏教に帰依しない者を教化し、仏界を脅かす煩悩や悪を調伏し、仏教を守護する仏」と説かれている。

 

20200210_035432515_ios 「境内」

写真手前側が「大歳神社」の境内、向かって左奥の少し高くなっている場所が、「青面金剛」をお祀りしている祠の境内となっている。
どちらの境内にも、本殿のほかには鳥居も何もなく、県道沿いの細長い草地に、小さな祠だけがぽつんと並んで鎮座してている。
大歳神社本殿の手前の土地は少し盛り上がっており、そこに何らかの建物があったことを思わせる遺構らしきものが見られる。

<終わりに>
兵庫県神社庁のサイト内に掲載されている「大歳神社」の住所は、「加古川市八幡町野村字谷口359」となっているが、実際には少し南側に外れた場所に「大歳神社」がある。
一般に公開されているグーグルマップには、こちらの「大歳神社」の位置情報は掲載されていなかった。
本記事冒頭に記載されている「兵庫県加古川市八幡町野村363」という住所は、兵庫県神社庁のマップをもとに現地を訪れた私が、グーグルマップに情報の公開を申請したときに表記された住所である。
本来の「大歳神社」は、兵庫県神社庁のマップに示された位置に存在していたのだろう。
しかしながらその場所は、現在では「畑」のようになっている。
上の写真に見えているガードレールは、神社のうしろに通っている「県道84号線」のものであり、かつてはその道路上に神社があり、県道の建設のために本殿を現在の場所に移設したのかもしれない。
県道84号線は私もよく利用する道路だが、兵庫県神社庁のサイトを見るまでは、このようなところに神社があるとはまったく知らなかった。
おそらく、だれかに教えてもらわない限り、私は今後もずっと神社の存在を知らずに、車で県道を通り過ぎていたことだろう。

こちらのお社にお参りさせていただく機会を与えてくれた兵庫県神社庁と神様に、心から御礼を申し上げます。

 

令和2年2月10日参拝




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2020年2月17日 (月)

「二見興玉(ふたみおきたま)神社」 三重県伊勢市

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令和2年1月27日拝受

初穂料:300円から
「猿田彦命(さるたひこのみこと)」と「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」をお祀りしている神社。
「猿田彦命」は、天照大御神の天孫「 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」が、天照大御神の命により、天津神の住まう天上世界「高天原(たかまがはら、たかまのはら)」から、国津神と人間たちの住まう地上世界「葦原中国(あしはらのなかつくに)」に降臨する際、その道案内を果たした国津神。
「宇迦之御魂神」は、伊勢神宮外宮でお祀りされている「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」と習合した衣食住と産業の神で、「お稲荷さん」としても親しまれている。

「二見浦」に鎮座する神社のすぐ近くには有名な「夫婦岩」があり、今日では多くの観光客で賑わっている。
かつては、禊場であった二見浦の海水で身を清め、禊を行ってから伊勢神宮にお参りするのが古来よりの習わしだった。
禊を行うために二見浦に参詣することを「浜参宮」といい、今回、二見興玉神社で拝受した御朱印にも「浜参宮」と記されていたが、「浜参宮」に代わって、「二見興玉神社」という社名が御朱印に記される場合もある。

境内の東奥には、海の神である「綿津見大神(わたつみのおおかみ)」をお祀りしている竜宮社があり、そちらでも御朱印を戴けるほか、二見(ふたみ)にちなんだ毎月23日の「ふたみの日」には、昭和初期ごろに二見興玉神社で授与されていた復刻版の御朱印(初穂料500円から)も特別に拝受することができる。



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2020年2月14日 (金)

「野々大神社」 兵庫県加古川市八幡町

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野々大神社(ののだいじんじゃ)

主祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
配祀神 なし
建立年 1360年~ごろ?
所在地 兵庫県加古川市八幡町野村612

加古川市の中東部に位置する八幡町「野村」に鎮座する神社。
「国産みの神」である男神「伊邪那岐命」をお祀りしている。

 

*

 

Img_1892「鳥居」

各地の神社でごく普通に見られる「明神鳥居」が、参道入口に1基建立されている。
鳥居の正面の額束(がくづか)には、「野々大神社」の社名が記されている。
向かって左側の柱の裏側には、「平成十七年四月吉日」の記名があり、こちらの鳥居が、神社に奉納されてからまだ10年ほどしか経っていない真新しものであることがわかる。

 

20200210_033639237_ios 「境内」

手水舎や、特別な参道らしきものもない、簡素な境内。
豪奢な境内ではないが、雑木林に隣接した明るい神域は、氏子の方々の手により日ごろからきれいに保たれていることが窺い知れる。 

 

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「本殿」

野々大神社の祭神である「伊邪那岐命」をお祀りしている本殿。
こちらの神社の由緒について、参道入口の鳥居の脇にある石碑に、以下のような記述がなされている。

野々大神社「四人講祷」
言い伝えによれば我々の先祖は、奈良時代より公家として長く奈良に居住していました。
しかし遷都による奈良地方の凋落や武家の隆盛等の変遷が続き、動乱の南北朝時代に入って行ったのですが、先祖は南朝方であったために冷遇され、西暦一三六〇年頃、やむなく伝手を頼りに寺社や貴族の荘園、或いは守護大名の既存領地を避けてこの地に移り住みました。
当時、この地は水源が無く荒れ野原でしたが、その中に一筋の湧水を見つけ、この水を利用して原野を開墾し、野村を開きました。
この時、一門の繁栄を祈願し、一致団結を誓い合う守護神として「野々大神社」をお祀りしたのが始まりです。
農村の四家「四人講祷」は、馬田氏、八代醍氏、厚見氏、友永氏で紋所「環木瓜中一」を同じくし、四家の男子相続人で村内在住者のみに祷員となる資格が与えられていました。
しかし厳しい規定により祷員が減少し続けたため、昭和二十年代に「全祷員の承認を得ればこの限りではない」と緩和されました。
今も、毎年一月と九月に村の繁栄と安全を祈願し、祭礼を行っております。

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……南北朝の時代、権力争いに敗れて都を追われた人々がこの地に逃れ、人も住まない荒れ果てた野原だった地を苦労の末に開墾し、「野村」という名の村を開いた。
村を開墾した一門の繁栄を祈願し、一致団結を誓い合う一門の守護神として、「野々大神社」をこの地にお祀りしたのが始まりだという。
ここに村を開いた人々が、八百万の神々の中から「伊邪那岐命」を神社の主祭神としてお祀りした理由が、この碑文を読むことで私も知ることができた。
「伊邪那美命(いざなみのみこと)」とともに、無から日本の国を産み出した国産みの神「伊邪那岐命」の神話に、「野村」の村を産み出した一門の境遇と偉業をなぞらえ、彼らの子孫たちと村の繁栄が、後の世まで未来永劫に続くことを祈願して、伊邪那岐命をこの地にお祀りしたのだろう。

さて、この石碑の碑文の最後には、
<「四人小僧」という昔話が加古川市の民話集に紹介されています。>
という一文が追記されている。

昔。
勘助という名の男が野村に住んでいた。
ある日、隣村からの帰途についていた勘助が道中にある薄暗い森の中に差し掛かると、白装束を身に纏った四人の異形の者たちが突然目の前に姿を現し、勘助の行く手を遮った。
驚いた勘助は、這う這うの体(ほうほうのてい)で何とか村に逃げ帰ったが、その後何度も白装束の四人が森の中に現れ、やがて人々は恐れをなして、その森に近づかなくなってしまった。
村人たちから「四人小僧」と恐れられるようになった白装束の化け物の正体は、森に棲んでいた「狸たち」だった。
しかし、その森を通り抜けなければ、隣町に行くことがどうしてもできない。
困り果てた村人たちは古老に教えを仰ぎ、その言葉通りに、森の中に小さな祠を建てて、そこに季節のお供え物をすることにした。
すると、お供え物はなくなって、それ以降、「四人小僧」も姿を現さなくなったという。

……という話が、「四人小僧」としてこの地に伝わっている昔話である。
狸たちが化けていた「四人小僧」を鎮めるために建てた小さな祠というのが、こちらの「野々大神社」なのだそうだ。

そして現在。
陰気な森の中にあったという「野々大神社」のすぐ目の前には県道が開通し、乗用車や大型トラックが土煙と轟音をあげてひっきりなしに走っている。
おそらく、昔話の中で語られている勘助が隣町から帰ってきた道というのは、この県道のある場所だったのだろう。
今では、神社の裏手と東側に広がる雑木林のみが、700年前は森だっという当時の面影をわずかに残している。

だが、長い年月が過ぎた現在の世でも、「野々大神社」はこの地に変わらず鎮座し、祖先が切り拓いた平和な「野村」の町で暮らしている子孫の方々が、今も神社を手厚く敬っている。

 

令和2年2月10日参拝

 

<付記>

余談だが、神社のすぐ東側に広がっている雑木林は、インターネットの世界では「心霊スポット」にされている。
かつて、その広大な場所には「高田牧場」という名の牧場があり、養豚を営んでいた畜産農家の人たちが住んでいたのだが、一家は何者かに惨殺され、以来、廃墟となったその牧場には、惨殺された一家の幽霊が出るという噂が広がった。(……らしい)

……そのようなわけで、この場所はちょっとした「名所」になり、県外からも多数の人間が「肝試し」に訪れるようになった。
牧場の表門が「城門」のように見えるので、「武家屋敷」という通称で呼ばれているこの牧場跡は、ご丁寧なことに、グーグルマップにも写真とともに場所が投稿されている。
加古川市民である私も、時々この廃墟の前を車で通りすぎることがあるが、少し前までは誰でも入れるようになっていたこの廃墟も、現在では、「立入禁止」と書かれた赤いコーンが門前に置かれているのを目にするようになった。
不逞な輩が屯して敷地内に侵入するためか、市か土地の所有者が「警告」のために設置したのだろう。
他人の土地に無断で入った上にゴミを散らかし、あまつさえ、人様の建物に落書きさえしている有様である。
廃墟とはいえ、他人の土地や家屋に無断で立ち入ることは、れっきとした「犯罪」であることを認識してもらいたい。

一家が惨殺されたというその噂自体も、「眉唾物」だと私は思っている。
私には「霊感」というものはないが、本当に霊感のある人なら、そのような「禍々しい場所」に好んで近づくことはしないだろう。
そしてここには、初めから「幽霊」などいない。
人から忌諱されるそのような場所に集まるのは「幽霊」ではなく、生きている「人間」である。
肝試しに訪れた人間が、そこで事故や事件に巻き込まれ、最悪の場合、命を失って、その場所が本当に「心霊スポット」になってしまうかもしれない。
「死んでいる幽霊」よりも怖いのは、やはり「生きている人間」のほうだろう。

下の写真は、15年前に車で通りがかったときに撮影した当該廃墟の様子。
奇しくも、今回「野々大神社」を訪れた日と同じ「2月10日」であることに気づいたが、その関連性に「霊的」なものなどは一切ない。

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Img_0612通称「武家屋敷」(伝「高田牧場」跡) 三枚ともウィルカ撮影(2005年2月10日)




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2020年2月10日 (月)

ご挨拶

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この度は、『名もなき小さなお社の神様を訪ねて』に御来訪下さいまして、誠にありがとうございます。
当ブログでは原則的に、「拝受御朱印一覧」のコンテンツ内で紹介している神社を除き、「ウィルカ」ことブログ執筆者の私が参拝した「社務所のない無人の神社」の参拝録のみを掲載しています。

『名もなき小さなお社の神様を訪ねて』というブログ名ではありますが、日本各地に鎮座されているすべてのお社には、その一社一社に「神様」がお住まいになり、神社の主で在られる神様がお住まいになられているすべての神社には、「名前」があります。
長い年月の間に野山や里に埋もれ、その名や場所さえも、人々の記憶の底に埋もれようとしている無人の神社にできる限り参拝し、また、少しでも多くの方々にご存在を知っていただくことが、拙い私にできる「神様へのご奉仕」だと感じ、自らのブログに参拝録としてご紹介させていただくことを決めました。

私は神職の身ではなく、また、神道の知識にも乏しい不束者ではございますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

令和元年吉日 ウィルカ

 

※当ブログ『名もなき小さなお社の神様を訪ねて』は、既存の『ウィルカのぼうけんのしょ』以下、3つの旧ブログを廃し、メインブログとして新たに開設したものです。
当ブログの記事に誤り、掲載内容等に不都合や問題等がございましたら、ブログへコメントいただくか、管理者にメール(cyazca@yahoo.co.jp)でお知らせ下さい。(令和2年2月10日追記)

 

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「伊勢神宮(外宮)」 三重県伊勢市

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令和2年1月27日拝受

初穂料:300円から
年月日と印が押された、非常にシンプルな御朱印。
外宮では、衣食住と産業の神でもある「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」を主祭神としてお祀りしている。
食事を司る「御饌都神(みけつかみ)」として天照大御神にお仕えする豊受大御神は、後に「お稲荷さん」として庶民に親しまれるようになった「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」と同一視されている。
天照大御神、豊受大御神、宇迦之御魂神の御三柱ともに、女神である。
拝受できる御朱印も、伊勢神宮(内宮)と同様のシンプルな意匠となっている。



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「伊勢神宮(内宮)」 三重県伊勢市

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 令和2年1月27日拝受

初穂料:300円から
年月日と印が押された、非常にシンプルな御朱印。
すべての神社の総本社であり、すべての日本人の総氏神である、日本神話の最高神=太陽神「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」をお祀りしている伊勢神宮(内宮)には、全国から毎日多数の参拝者が訪れる。
そのために、参拝者に授与する御朱印の意匠も、シンプルなものとなっているのかもしれない。



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参拝神社一覧

(番号は参拝順)

「西ノ宮神社」 鳥取県鳥取市
 令和2年6月23日参拝

「高田神社」 鳥取県鳥取市
 令和2年6月23日参拝

「諏訪神社」 静岡県静岡市
 令和2年3月22日参拝

「大森神社 兵庫県朝来市
 令和2年3月12日参拝

「松本稲荷神社」 兵庫県明石市
 令和2年3月9日参拝

「賀茂神社」 滋賀県近江八幡市
 令和2年3月2日参拝

「金刀比羅宮」 香川県仲多度郡
 令和2年2月11日参拝

「山ノ神社」 兵庫県加古川市
 令和2年2月10日参拝

「大歳神社」 兵庫県加古川市
 令和2年2月10日参拝

「野々大神社」 兵庫県加古川市
 令和2年2月10日参拝

「生田神社」 兵庫県神戸市
 令和2年2月3日参拝

「日岡神社」 兵庫県加古川市
 令和2年1月28日参拝

「二見興玉神社」 三重県伊勢市
 令和2年1月27日参拝

「伊勢神宮(外宮)」 三重県伊勢市
 令和2年1月27日参拝

「伊勢神宮(内宮)」 三重県伊勢市
 令和2年1月27日参拝

「稲荷神社」 大阪府豊能郡
 令和元年5月5日参拝

「稲荷神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月15日参拝

「大歳神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月15日参拝

「稲荷神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月15日参拝

「具平親王神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月7日参拝

「愛宕神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月4日参拝

「愛宕神社」 兵庫県加古川市
 平成31年4月4日参拝




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2020年2月 7日 (金)

「稲荷神社」 兵庫県加古川市平岡町

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「稲荷神社」

主祭神 保食神(うけもちのかみ)
配祀神 なし
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市平岡町新在家1031

加古川市平岡町新在家(しんざいけ)にある小規模な稲荷神社。
食物の神である「保食神」を祀っている。

*

 

20190415_050903352_ios「神社外観」

鳥居はなく、神社の周囲は、玉垣の代わりにコンクリート製のブロック塀で囲まれている。
たいていの神社は、入り口からまっすぐ参道をたどった先に本殿が建立されているが、こちらの本殿は、神社の入口の左手にあたる北側に建立されている。

現在、神社の南側には新在家公会堂が建てられており、公会堂のすぐ手前には、旧街道の「山陽道」が、南東から北西に向かって通っている。
もしかすると、本来の入り口は、境内の南側にあたる場所にあり、現在公会堂のある場所を南北に突き抜けて、旧街道にまで参道が伸びていたのかもしれない。
しかしながら、神社の入り口は必ずしも本殿の正面に設けられるものでもないようだ。

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「本殿」

大人の背丈ほどの小さな木製の本殿が、玉垣で囲まれた聖域に南向きに建立されている。
「兵庫県神社庁」のウェブサイトによると、こちらのお社を管轄している神社は、新在家の氏神である「野口神社」であり、例祭日は「10月15日」となっている。

他府県の神社庁のサイトでは、小規模な神社の情報は掲載されていないこともあるが、兵庫県神社庁では、「無挌社」に分類されるこのような小さな神社でも、主祭神や所在地などの詳細な情報が余すことなく記載されている。

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「境内摂社・末社」

「摂社」とは、「本社」の本殿に祀られている主祭神とゆかりのある神(夫婦関係や親子関係にある神など)の祀られている小さなお社のことで、それ以外の神が祀られているお社を「末社」という。

こちらの神社には、本殿に向かって左側に木製の摂社(写真上)と、本殿の敷地内に石製の小さな末社?(写真下)が見られたが、そのどちらにもご神体の姿はなく、外観だけが残されていた。

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かつて私が暮らしていた家は、こちらの神社から歩いて数分くらいの場所にあった。
小学生当時、同じ地区に住む1年生から6年生までの児童が、十数人ほどの男女のグループに分かれて集団登校をしていた。
神社の南側にある新在家公会堂が、私たちのグループの集合場所になっていたのだが、集合場所として大人が勝手に決めた公会堂は専ら「ランドセル置き場」であり、私たち子供にとって、本当の集合場所は、この「稲荷神社」だった。

当時は、榎と思われる二本の大きな木が境内に生えていて、神社の境内の北東(写真上)には、四人乗りの箱型ブランコが設置されていた。
登校前の待ち合わせ時間に境内で野球をしたり、神社のブランコに乗って遊ぶのが、当時の私たちの常であった。

箱型ブランコには、列車のボックス席のようにして二人~四人で向かい合って座るのが普通の乗り方なのだが、私を含めた腕白盛りの男の子たちの乗り方は少し違っていた。
「漕ぎ役」の二人が、向かい合って並んでいる椅子を跨ぐようにしてそれぞれがブランコの両側に分かれて立って乗り、漕ぎ役の二人の内側に「乗客」の二人が座った。
漕ぎ役の二人は、箱型ブランコの二つの椅子を連結している中央の底板が、がしゃん! がしゃん! と近所中に響き渡るくらいの大きな音をたてながら、椅子の裏側に激しく打ち付けられるほど思いっきり漕いだ。
そのおかげで、ブランコの支柱を固定しているコンクリートの表面に亀裂が入り、私たちがブランコを漕ぐたびに、今にも地面から支柱が外れてしまいそうになるほどにブランコ全体が振動した。

ブランコの奥には榎の木があって、ブランコの底板を固定している留め具が榎の木の幹に毎回当たるおかげで、樹皮の表面が深くえぐられて傷がついていた。
言うなれば、神社の境内に植えられている榎の木は「ご神木」なのだが、当時の私たちはそんなこともおかまいなしに、木の幹のできるだけ高い場所に傷を付けようとして、ご神木である榎の木を破壊する勢いでブランコを漕いでいたのである。
その傷は、あれから40年ほどが過ぎた今でも、まだ木の幹に残されていた(写真下)。

また、先述したように、柔らかいビニール製のおもちゃのボールを使って、右手をバット代わりに境内で野球をすることもあった。
神社を囲っているブロック塀の外側までボールが飛ぶと「場外ホームラン」、神社のご神体である本殿にボールが当たると「スリーベースヒット」とされた。
そのために私たちは競って、本殿めがけておもちゃのボールをぶつけていたのである。

「罰当たり」だと、大人たちは子供たちを叱るだろう。
けれど、稲荷神社の「神様」は、私たちを罰することはなかった。

今、神社の境内に、子供たちの声が聴こえることはない。

 

平成31年4月15日参拝 ウィルカ




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2020年2月 3日 (月)

「大歳神社」  兵庫県加古川市平岡町

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「大歳神社」

主祭神 大年神(おおとしのかみ)
配祀神 なし
建立年 不明
所在地 兵庫県加古川市平岡町新在家552

兵庫県加古川市の南東の町、平岡町の住宅街の片隅にある大歳神社。

配祀神はおらず、食物の神である「大年神」を主祭神に祀っている。

 

*

 

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「鳥居」

コンクリートで作られた階段を昇った境内の入り口に、石製の明神鳥居が1基建てられている。
写真に向かって左側の柱の裏側に、「昭和十年三月吉祥日」の文字が彫られている。

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「本殿」

元来、私たち日本人は、自然界に存在するすべてのものに神が宿るとされるアニミズム……精霊信仰を行っていた。山や海、古い巨木や大きな石などの自然物のほかにも、動物や人間を含めた生物さえも精霊=「神」として崇められた。それらの神々は特定の住居を持たず、祭事の際には、神器や巫女などを依代(よりしろ)として、その都度に人間たちの前に降臨した。

6世紀に仏教が日本に伝来すると、大陸様式の塔や仏閣が国内に建立され、それに倣って、古くから信仰されてきた日本の神様たちが住まう場所、聖域としての「神社」が、各地で建立されるようになった。

「伊勢神宮」のような古い神社は例外にして、名のある大きな神社には、ご神体が祀られている「本殿」と、神社を訪れた人々がご神体を礼拝する場所となる「拝殿」が、本殿の手前に設けられている。

しかし、里や山に建てられた小さな神社には本殿と拝殿の区別がなく、中にご神体が納められた質素なお社が本殿と拝殿を兼ねていることがほとんどである。

こちらの大歳神社も、そうした数ある小さな神社のひとつだろう。

かつて私が住んでいた家がこの神社のすぐ近くにあり、幼い私の遊び場所にもなっていた。
当時は本殿も木製で、傷みも相当に激しかったが、近年、写真に見られるような真新しいお社に建て替えられた。
今も地元の人たちに愛され、信仰され続けている証であろう。

20190415_050438190_ios 20190415_050445863_ios「狛犬

阿吽(あうん)の形の狛犬。

よく見ると、向かって右側の、口を開いた阿形の狛犬の鼻がもげている。
その昔、子供のころの私が、この狛犬の背中に跨って遊んでいたころから鼻はもげていた。

長い歳月のうちに風化して落ちてしまったのか。
ひょっとすると、明治時代、江戸時代……、いや、もっと遠い時代に生きていた子供たちが、あの日の私と同じように狛犬の背に跨って遊んでいた拍子に鼻をもいでしまったのかもしれない。

悪意を持って狛犬の鼻をもいだのなら罰も当たるかもしれないが、子供が遊び半分で壊してしまったのなら、きっと神様も大目に見てくれるだろう。

なぜなら、神様は子供が大好きだからだ。
40年も前にこの狛犬の背中に跨ってたり、玉垣の上を歩いて遊んでいた私も、今のところはとくに罰は当たっていない。

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「手水舎」

境内南側に設置された手水舎。
雨除けの屋根が設けられているが、桶の内部には水もなく、ここで手と口を清めることはできない。
反対側の境内北側に据え付けられている石碑には、神社への寄進に携わった方々らしき人名が記されている。

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神社外観。

私が幼なじみたちと遊んでいた玉垣は撤去されてブロック塀になり、以前は田んぼだった手前の土地も、現在は砂利が敷き詰められた月極め駐車場になっている。

ふと気になって、グーグルマップでこちらの神社を検索してみたら、「集落の中にあるごく普通な神社」という口コミのコメントが1件寄せられていた。

ほかにも同じような小さな神社を検索してみると、「古ぼけた祠がひとつあるだけ」だの「夜行くと怖い」だの、適当な扱いを受けている神社がいくつか見られた。

もちろん、投稿した人に悪気はないと思うが、そんな見当外れなコメントで神聖な神社が紹介されていることに、私は少なからずの怒りを覚えた。

「名もなき小さなお社の神様」がお祀りされている小さな神社を正しくご紹介すること。

それが、名もなき私に課せられた「使命」だと感じた。
御朱印やお守りが戴けるほどの大きな神社のご紹介は他の皆様方にお任せすることとし、私は自らの「使命」を、ここで綴ってゆこうと思う。

 

平成31年4月15日参拝 ウィルカ




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